コラム27.  :DEC~消えた名門企業

Small Blue

C言語というプログラミング言語は、もともとUNIXというOSで使われることを目的としたプログラミング言語だということはこのコラムで何度も取り上げました。そのUNIXは、もともとPDP-7上で作られたものでした。そしてC言語はその後継機である PDP-11上で実装されました。

このPDP-7、および PDP-11を作ったコンピュータメーカーが、ディジタル・イクイップメント・コーポレーション (Digital Equipment Corporation)、略してDEC(デック)というアメリカの企業でした。

同社は、1957年、ケン・オルセンによってマサチューセッツ州メイナードに設立され、1970年代と1980年代にかけてPDPシリーズとVAXシリーズといった、科学技術分野において、最も一般的なミニコンピュータを製造していたメーカーでした。

その技術力はたいへん高く、ロゴの色や会社規模から、IBMの愛称"Big Blue"に対して、"Small Blue"の愛称で呼ばれていました。つまりIBMと好敵手であるような企業であったということです。

高い技術力

DECの特徴は何といってもその高い技術力であり、コンピュータの歴史に残る偉大な技術をいくつも開発してきました。

社内にはコンピュータ界のノーベル賞と言われるチューリング賞を受賞した優れた研究者・技術者がいたほか、X Window Systemの初期の開発をしたジム・ゲッティーズ、後マイクロソフトで Windows NT 開発を指揮することになるデヴィッド・カトラー などといった優れた人材がいました。

また、64ビットのCPUであるAlphaや、のちにスマートフォンなどで用いられることになるCPUである、ARMシリーズの基本となるStrongARMをARM社と共同開発するなど、ソフトウェア・ハードウェアの両面でコンピュータ技術の発展の歴史に輝かしい貢献をしてきました。

そういったこともあり、1980年代にはIBMに次ぐ世界第2位のコンピュータ企業となり、最盛期にはマサチューセッツ州で州政府に次ぐ第2位の雇用者になるくらいの勢いのある企業でした。

商業的に成功せず

そんな輝かしいコンピュータの名門企業であるDECでしたが、残念ながら、現在この会社は存在しません。1998年、IBMの互換機を製造していたパソコンメーカーコンパック(Compaq)がDECを買収し、さらにそののち2002年5月、ヒューレット・パッカード (HP) がコンパックを吸収合併し、事実上姿を消しました。

いったいなぜ、そんなことになったのでしょうか?同社の衰退の原因は、全盛期を誇っていた1980年代にすでに同社を蝕んでいました。1980年代後半にパーソナルコンピュータ市場が成長し、1990年代には強力な32ビットシステムがいくつも登場するようになりました。

このころのコンピュータ業界の主役は、同社をのちに買収することになるコムパックなどのIBM互換機メーカーでした。しかし、DECはその路線とは一線を画し、64ビットRISCプロセッサアーキテクチャ DEC Alphaを開発し、高性能ワークステーションに採用するなど、この会社自慢の技術力で劣勢を挽回しようとしました。

しかし、そういった技術や製品も、商業的には成功せず、同社はついに買収されるに至ったのです。

DECの敗因

では、なぜDECは商業的に成功できなかったのでしょうか。それはずばり、時代の変化についていけなかったという一点に尽きると言えるでしょう。

同社の自慢の商品である、「ミニコンピュータ」とは、あくまでもその当時主流であったメーンフレームコンピュータよりも小さいコンピュータという意味で、研究室や設計室のような環境でも運用利用できる小型のコンピュータという意味でした。

しかし、そののちに台頭してくるマイコンやパソコンなどに比べればはるかに大きく、次第にその役割をそういったコンピュータに奪われていくことになりました。安価なマイクロプロセッサベースのハードウェアの登場し、さらに安価で容易に展開可能なLANシステムの登場によると、ミニコンはその役割を終えることになるのです。

しかも、初期のパソコン用のOSとしておおいに普及したCP/Mは、実はDECのPDP-11のOS(RSTS/Eなど)をマイクロプロセッサ向けに実装したものであり、その後その技術はマイクロソフト社のOSであるMS-DOSに受け継がれていくことになるのだから、皮肉なものです。

技術力では大変に強力な企業であったDECでしたが、そういった市場の変化を見誤ってしまったのです。

DECの遺伝子

このように、事実上消滅してしまったDECでしたが、同社がコンピュータ業界に残した足跡は偉大で、この会社で活躍した優秀な人材が様々な企業に移り、その後のコンピュータ技術の発展に大きな貢献をします。

シスコシステムズを創業したレナード・ボサック、検索エンジンAltaVista開発し、のちにGoogleに移ったマイケル・バローズ、ルイス・モニアー。AMDに移り、CPUの開発に参加したダーク・メイヤーなど、枚挙にいとまがありません。

このほかにも、有名・無名問わず、同社出身の優秀な人材たちが、アメリカのコンピュータ技術の発展に大きな貢献をしてきました。DEC社という会社はなくなりましたが、その技術・人材なくして、現在のIT業界はありえないと言えるでしょう。